近角常観

 近角常観(ちかずみじょうかん)は明治3年滋賀県に生まれた浄土真宗大谷派の僧侶で、親鸞聖人の信仰を伝える歎異抄を原点に据え、悩み煩悶する人間が絶対他力によって救済されることを自らの入信体験を基に繰返し説き、 仏教界のみならず幅広く同時代の知識人に大きな影響を与えた。
 近角は若き日の欧州留学の体験をふまえ、青年学生と起居を共にして自らの信仰体験を語り継ぐ場として求道学舎※を本郷のこの地に開き、明治35年から昭和16年に没するまでその経営に心血を注いだ。
 また、広く公衆に向けて信仰を説く場として、大正 4年にこの求道会館を建立。その壇上から有縁のものへ語りかけると共に、広く社会に対して仏教の有るべき姿を訴えた。その主張は政教分離の立場から国家による宗教管理とともに教団の政治参画にも強く反対し、宗教界の自立性の喪失に警鐘を鳴らし近代仏教の確立に大きく貢献した。

近角常観研究資料サイト



※ 求道学舎
明治35年(1902)当時、求道学舎の建築は、元憲兵屯所の古い木造2階建でした。その崩れ落ちんばかりの求道学舎は関東大震災を辛うじてくぐり抜けましたが、もとより老朽化していたため、大正15年(1926)求道会館と同じ武田五一の設計で建て替えられました。 RC造3階建、白亜の寄宿舎は、東京大学正門前の下宿街として賑わっていた本郷森川町の中でも、ひときわ異彩を放っていたそうです。常観が洋行中に訪ねた、オックスフォードの寄宿舎や、マルチンルターが住んだ修道院などがモデルだと伝えられています。   求道会館と求道学舎とがあい寄り添う姿には、次世代を担う青年仏教徒の精神生活の拠り所にしたいと願った常観の思いを彷彿とさせるものがあります。