武田五一は明治 5年生まれの建築家で、ヨーロッパの新しい芸術運動であるアーツアンドクラフトやゼセッション運動の日本への紹介者として、また京都大学建築学科の創設者として有名である。
武田はいわゆるプロフェッサーアーキテクトであり、建築家としての実践活動の他、教育活動や文化財修復、その他様々な委員の委嘱を受け多方面で活躍した。
 世代としては明治期の建築家の第二世代に属し、ヨーロッパ様式主義一辺倒であった当時の建築界に近代建築の新風を吹込む一方で、日本建築の良さを大切にした世代のひとりであった。
武田の作品は京都大学に奉職する時期を境に前期と後期に区分できる。  前期には我が国最初のゼセッション建築と云われる福島行信邸、名和昆虫研究所記念昆虫館、京都府記念図書館、山口県庁舎等がある。後期には東方文化学院京都研究所、同志社女学校栄光館、京都銀行集会所などがある。求道会館は前期の終わり頃の代表作の一つで、若いころから関心の深かった日本建築の伝統を、自作に意図的に盛り込むようになった時期の作品である。様々な要職にあり多忙ゆえか後期には作風に一貫したものが薄れて行く傾向に有るとも云われ、求道会館は武田が最も円熟し、自在に筆を振るっていた時期の、武田らしさが良く出ている作品と言われている。